ブリジット・リン(2)
ブリジットの経歴を紹介する前に、「美人」ということついて考えてみたい。美人の条件というのは色々あるだろうが、私は次の項目をあげたい。
- 美人はどんな角度から見ても綺麗だ。誰にでも一番美しく見える角度があるのは当然だが、角度によってブスに見える人は美人とは言えない。同様に、美人は絶対に横顔と斜め後ろから見ても美しい。
- 美人は素顔も美しい。だから、メーキャップをするともっと綺麗になるのが美人だ。
- 美人はどんな表情をしても美しさを保持するものだ。泣き顔は見られない、とか、笑うと下品だというのは美人ではない。
- 美人は目が綺麗なだけでなく、輝きがあって、何かしらの威力を感じさせる。
- 美人には華がある。どんなにシンプルな恰好をしていても、ゴージャスに、あるいは恰好良く見えるものだ。
- 美人は年齢を重ねても美人である。
- 美人は性格も良く、可愛らしさをどこかに秘めている。性格は顔に出る。
もし、『スウォーズマン』シリーズの2本や『キラーウルフ/白髪魔女傳』を見ることができたら、あるいは、すでに廃盤になっている『北京オペラブル―ス』や『夢中人』(チョウ・ユウファと共演)でもいい。彼女の映画を見たら私の言っていることが少しは理解して戴けると思う。究極の美人とはファンのひいき目にすぎないにしても、彼女が美しさを備えた女優であることは納得できるのではないか。
林青霞は特別に目が大きいとか、鼻が高いとか派手な顔立ちをしているわけではない。くっきりとした眉、見据えられると威力がある眼、鼻と口はやや小さめだが、あごが可愛らしく割れているのが特徴だろう。クラシックな、そう東洋的な美人である。台湾映画時代の彼女は本当に美人だ。デビュー当時は、山口百恵のそれと似た感じで、それ以後、どんどん美しく変貌する。彼女が最も美しいと思う映画は日本未公開の『愛殺』という作品だ。林青霞が25歳のときに撮影されている。25歳はお肌の曲がり角、と良くいうがこれと関係があるのかも知れない。
デビュー以来、ほっそりとしたスレンダーな体型だったが、90年の『レッドダスト』のあたりからふっくらと女性らしい体つきになってきた。大人の魅力が増した気がする。『ドラゴン・イン/新龍門客棧』の中で彼女が恋人のレオン・カーフェイと再会するシーンがある。二人は数メートル位離れて向き合い、見つめ合ったあと、林青霞が後ろ手にして左足を斜め横に一歩出し、首を傾げてレオンが近づくのを待つところは絶品である。
中性的な魅力で有名な林青霞だが、このシーンは色っぽい。(彼女は台湾時代の映画のほとんどがメロドラマだったが、清純さが売り物でセクシ―さが要求された映画は皆無と言っていい。従ってセクシーさは開発されず、中性的魅力が『北京オペラブルース』や『スウォーズマン』シリーズなどで開花している)この映画には酒瓶をラッパ飲みすると涙がこぼれ落ちるシーンとかマギー・チョンとの風呂場での対決シーンなど名シーンがいくつかある。ただし、敦煌でのロケで、クライマックスの戦いのシーンを撮影中に矢が目に当たるというケガをした林青霞は失明の危険があると言われて香港に帰って入院、治療した。そのために必要なシーンを撮影出来なかったそうで、物足りないラストになっている。
林青霞ファンとしては、他人が認めなくても、彼女こそ究極の美人だと信じている。ただ、惜しむらくは日本で彼女の映画を見ている人が少ない。彼女の映画を見て、ウーム、これぞ映画でしか表現できない夢の世界だ、イヤ、お見事!と認めてくれる人がいたら、その時は林青霞が究極の美人であろうとなかろうと問題ではなくなる。つまるところ、林青霞は究極の映画女優であるのだから。林青霞のファンになったからには、出来るだけ資料を集めたいと願っているが、今のところ順調とは言えない。私は中国語が話せないが、漢字から判読するのは時間がかかるけれども不可能ではないとわかった。香港で買ってきた本や知り合いからコピーさせて貰った本、アジアン・コミュニティーの本屋で見つけた古雑誌などを参考に、彼女の経歴をまとめてみた。
林青霞(香港ではラム・チン・ハーと言わなければ通じない。ブリジット・リンという
のは中国語圏以外で知られている名前)は1954年11月3日に台湾で生まれた。血液型はB型。兄と妹がいる。7歳のときに街角でスカウトされ、両親の反対を押し切って高校卒業後に『窗外』(未)という作品でデビューを飾る。しかし、この映画は高校生とその教師とが恋に落ちるという女流作家・瓊瑤(多分北京語でチョン・ヤオ、と発音するのだと思う)の体験を基にした本の映画化で、作家の抗議によって台湾では上映禁止になった。
香港ではかろうじて上映され、爆発的なヒットを記録。以後、林青霞に出演依頼が殺到し、その頃の専属スター制度に関係なくフリーで多数の作品に主演する。一度に6本の作品を掛け持ちしていたこともあるという、驚異的な売れっ子になった。また、当時はカンフー映画か武侠映画(アクション時代劇)が主流だったが、彼女の作品がヒットしたことによって文芸愛情作品(メロドラマ)ブームになる。
デビュー作で共演した秦漢(チン・ハン)や秦祥林(チン・シャン・リン、日本ではチャールズ・チンと呼ばれている)らが相手役で似たようなラブ・ストーリーが何本も製作された。プライベートな面でのマスコミ攻勢とワンパターン的な作品しか依頼がこない状態に疲れ切り、79年末に妹さん夫婦が住むロサンゼルスに渡り、一年余りを過ごす。
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